教会の沿革 

1886年、アメリカンボード宣教師であった新島襄を中心に日本基督組合教会が設立。1896年、米国から帰国した中島錦五郎、土井操吉、米山梅吉により日本基督同胞教会が設立。大津に建てられた両教派教会が1946年に合同して、日本キリスト教団大津教会が生まれました。ここでは、大津教会の前史と、合同後の歩みについてご案内いたします。

中村牧師時代 集合写真

 ▼ 前 史

 大津教会は1946年7月18日に大津組合教会と大津同胞教会、より正確には大津教会と大津南教会、この二つの教会が発展的に一旦解散して、新たに設立された。

 大津組合教会は亀山昇牧師を迎えて1890年(明治23年)7月に設立。1918年(大正7年)白玉町の民家を購入して改築、献堂した。膳所中学の学生などを中心に伝道、大溝伝道所を設立するなど盛んであったが、昭和に入り、軍国主義が次第に濃厚になっていく中で、信徒数が減り続け、自給独立が困難な状態に立ち至った。

 大津同胞教会は組合教会に遅れること14年の1904年(明治37年)7月、水野芳之助牧師が同胞教会から派遣されて、三井寺下に民家を借り受け活動が開始され、翌1905年に教会の組織ができた。1907年(明治40年)にアメリカからモンロー・クリセリウス宣教師が大津に赴任。しかし在任わずか三ヶ月、日本語を覚える時もなく、自由に語る友もまだないままに、猩紅熱のため異国の地日本で急死する。28歳の若さだった。

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▼ 矢部喜好の献身、ヴォーリズの会堂

 同じ頃、アメリカに一人の日本人が留学していた。青年、矢部喜好である。矢部もまた異国の地アメリカで猩紅熱にかかり入院していた。幸い快方に向かっていたころ、アメリカ同胞教会外国伝道局教育幹事であったニップ宣教師の訪問を受け、クリセリウス宣教師が大津の地で、同じ猩紅熱で急死したことを聞かされる。この知らせは若き日の矢部喜好牧師に献身を決意させることになった。シカゴ大学理学部、オッタバイン大学、そして再びシカゴ大学に戻り神学部を卒業、この間9年にわたるアメリカ留学の後、全く未知の地であった大津で開拓伝道を開始した。

 矢部牧師は膳所教会を創立・牧会するかたわら、再度来日したニップ宣教師の協力も得て、大津同胞教会を兼牧することになった。

 そして大津同胞教会は1928年(昭和3年)11月に現在の場所に会堂を建て、献堂式が行われた。設計はW.M.ヴォーリズであった。

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▼ 教会合同、そして伝道へ

 1941年(昭和16年)日本基督教団が成立し、同じ年の11月23日に教団成立記念集会が大津組合教会及び大津同胞教会で開催され、この日を期して両教会はそれぞれ大津教会、大津南教会と名を改める。そして1946年7月18日、両教会は中村利雄牧師のもと、一旦解散して、日本基督教団大津教会として新たに設立されたのである。

 その後、復員してきた会員の復帰や、折からのキリスト教への関心などから、伝道集会、入門講座などにより教勢を拡大、青年によるキャンプ修養会、訪問伝道などが盛んに行われる一方、牧師館、霊安塔などが建設された。

 1952年(昭和27年)には石山伝道所を設立、これは2年後に石山教会へと成長した。

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▼ 愛光センター開設とその後の取り組み

 旧組合教会の土地は、土地区画整理事業のため、大津市に売却、その果実を伝道にあて、市民に開かれた教会となるため、1981年(昭和56年)愛光センターを建設した。ここでは、センターを各種の集会や教室に提供するほか、保育支援の一環として2才児クラスを開設し現在に至っている。また、一時は高齢者のデイサービス事業としての「愛光ふれあいの家」や不登校児を対象とした滋賀ホームスクーリングセンターとして利用された。

 伝道の意欲を継承するものとして、守山集会を経て1988年(昭和63年)には守山伝道所を設立したが、3年後に休止せざるをえなかった。一方、子どもに開かれた教会として、市内各所で子ども集会を開くなど、教会学校(現、子どもの教会)に力を注いできた。これらの伝統や経験を生かし学びながら、新たな伝道への取り組みを模索しているところである。

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▼ 地域と共に歩む教会として

 愛光幼稚園は1918年(大正7年)に創立され、大津教会付属の幼稚園として85年を歩んできた。そうして2003年には大津愛光学園として新たなスタートをきり、キリスト教保育一筋に市民からの信頼を得ている。

 教会はイエスを救い主と信じる者の、目に見える二つの交わりにおいて成立している。それは神との交わりと人々との交わりである。神との交わりとは、イエスの十字架と復活の福音に生かされることであり、人々との交わりとは、愛による人と人とのつながりを大切にしながら、この世界に関わり続け、共にあることである。いわば、生の根拠が支えられ、生きる目当てが見つかる場所である。現代における教会の存在理由を自覚し、成長し続けるものでありたいと願っている。

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